2019年04月22日

2019年「新指定国宝・重要文化財」展


 毎年春の風物詩、前年度に国宝や重要文化財に指定された文化財が一堂に会する新指定展が4月16日から始まりましたので、上野の東京国立博物館に行ってきました。ちょうど特別展の「両陛下展」や「東寺展」が開催されていたこともあり、平日の午前中にも関わらず東博は相当な人出でした。



 今年も去年と同様、仏像系は本館に入ってすぐ右手の11室、それ以外は二階西側の8室に展示されています。毎度の如く新指定展は写真撮影が禁止なのですが、それを知らない人が多いのか、いつも以上に係りの人が写真撮影禁止のピクトが描かれたボードを高々と掲げていて腕がしんどそうでした。



 今回は国宝が三件で、そのうち「キトラ古墳壁画」は当然ながらパネル展示。実物を見ることができるのは京都・安祥寺の「木造五智如来坐像」のうち「大日如来坐像」「阿弥陀如来坐像」「不空成就如来坐像」の3躯、奈良・唐招提寺の「木彫群」5躯のうち「木造 薬師如来立像」「木造 伝獅子吼菩薩立像」の2躯です。

 平安時代に築かれた「木造五智如来坐像」は細長い半開きの目が印象的で、貫禄がたっぷりで国宝にふさわしいたたずまい。奈良時代の一木造である「木造 薬師如来立像」「木造 伝獅子吼菩薩立像」は造形と木目の流れが非常に美しく、像の下に立つとすべてを見透かされているような凄味を感じました。

 重要文化財では私の地元である江ノ島の木造弁財天像が思っていたより立派で、あの神社にこんな凄い鎌倉仏があったのかと驚きました。教王護国寺(東寺)の「木造獅子狛犬」もカッコかわいくてお気に入り。

 8室に展示されているものでは鎌倉時代の「絹本着色春日鹿曼荼羅図」が個人的なイチオシ。雲に乗った白鹿の蔵から榊が描かれ、その枝先に春日大社の本地仏が描かれてるという構図が最高に素敵です。明治時代の銅置物「十二の鷹」の写実っぷりも素晴らしい。生き物の質感を金属でこれほどまでに再現できるのかとため息が出るばかりでした。



 新指定展としては今回初めて図録を発行したようで、売店で販売していたので購入しました。展示されていなかったものもすべて収録されており良い感じ。来年以降もぜひとも図録を出して頂きたいと思います。

 2019年の新指定展は5月6日まで開催されています。常設展扱いなので620円で見ることができますので、足を運んでみてはいかがでしょうか。

posted by きむら at 11:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文化財

2019年04月14日

茨城県の笠間城&土浦城を散策してきました


 春の18切符旅行の締めくくりとして、4月5日に茨城県の笠間市に行ってきました。目当ては続100名城の笠間城です。

 JR常磐線と水戸線を乗り継ぎ、9時過ぎに笠間駅に到着。てくてく歩いて町の中心部まで行き、まずは笠間稲荷神社に参拝しました。


日本三大稲荷のひとつである笠間稲荷神社


その本殿は幕末の文久元年(1861年)に築かれたもので重要文化財


北関東に多い、装飾著しい近世社寺建築です

 四方を山々に囲まれた盆地に位置する笠間の歴史は深く、この笠間稲荷神社のみならず他にも重要文化財の建築や仏像があるのですが、それらは町から離れており足がないと厳しそうなので今回はパス。素直に主目的の笠間城に向かいました。

 門前通りの東端にある、明治の三階建て旅館をリノベーションした「かさま歴史交流館井筒屋」に立ち寄って笠間城の縄張図を頂き、下屋敷跡にあたる佐白山麓公園から伸びる登山道を上がります。10分足らずのちょっとしたハイキングで本丸に到着しました。


桜が咲いていたけど、平日ということもあって人っ子一人いなかった

 本丸には八幡台と呼ばれる巨大な土塁や、櫓の基礎などが残っており、遺構の現存度合いはなかなかのもの。というのも、笠間城は山城としては珍しく江戸時代も笠間藩の居城として現役でした。さすがに政庁は山麓にあったようですが、山上の建物も明治維新まで維持されていたのです。

 本丸からさらに石段を上がった山頂には天守曲輪が存在します。慶長3年(1598年)に蒲生氏が笠間城を世城郭へ改築した時に築かれたもので、天守がある山城はそう多くありません。


天守曲輪には4mの石垣が築かれている……が

 東日本の城にしては珍しく結構高い石垣ですが、残念ながら2011年の東日本大震災により一部が崩れてしまい、現在も修復されておらず痛々しい感じです。石段は整えられているので頂上まで登ることはできますが、一部はいまだに立入禁止で本格的な修理が望まれます。


現在、天守跡には佐志能(さしのう)神社が鎮座している


本殿を取り囲む壁は、天守の屋根瓦を積んだものとのこと

 佐志能神社の建物自体も、天守の用材を再利用して建てられたといいます。神社に姿は変わりましたが、天守の部材は今もなお残っているのですね。

 縄張図を見ると、天守曲輪の東麓に「石倉」なる表記があり、気になったので見に行ってみることにしました。石で築かれた倉でもあるのかと思いきや、そこは巨石が露出する採石場でした。


石材がゴロゴロ転がり、楔を打ち込んだ矢穴も見られます

 東日本に石垣を持つ城が少ないのは、良い石材が採れる採石場が少ないという理由があります。笠間城は城内に採石場を抱えていたからこそ、巨大な石垣を築くことができたのですね。なるほどなぁ、と大いに納得。

 さて、行きは後世の登山道を使って本丸に直接出ましたが、帰りは城の正面玄関である大手門から出ることにしました。


大手門跡にも石垣が残っていました

 大手門跡から駐車場となっている的場丸を抜け、車道を歩いて行くと、道端に巨大な大岩が現れました。地図を見ると、どうやら大黒石とのことです。


道路の脇にたたずむ大黒石

 なんでも鎌倉時代のはじめ、佐白山を拠点とする僧兵が、笠間の北に位置する徳蔵寺の僧兵に攻め込まれた際、山上にあった大黒石を転がして撃退したという伝説が残っているようです。

 大黒石の中ほどにはヘソと呼ばれる小穴があり、小石を三回投げて一度でも入れば幸せがあるといいます。試しに投げてみたら、ちょうど三回目で穴に入りました。良いことあるかな。

 大黒石からは、坂尾の集落を通って笠間城の北口にあたる「坂尾の土塁」を目指しました。その途中には坂尾不動尊があり、かつてはここに坂尾門という城門があったそうです。


坂尾不動尊周辺は未舗装路の坂道で、往時の雰囲気が残っています


その先に位置する「坂尾の土塁」

 北の防衛前線である「坂尾の土塁」は左右をずらして築いた「食い違い虎口」となっており、かつては土塁の外側に堀が存在していたとのこと。道路の整備によって東側の土塁が少し削られたそうですが、想像していたよりもずっと状態が良くて驚きました。

 坂尾の土塁からは車道を西へと進み、真浄寺というお寺に向かいました。笠間城の本丸にあった、八幡台櫓が移築されているお寺です。


左が真浄寺の本堂で、右奥が八幡台櫓


いやはや、なかなかに立派な櫓ですな

 明治の廃城令に伴い、明治13年(1880年)に払い下げられたとのことで、現在は「七面堂」という仏堂として使用されています。正面は向拝が付けられているものの、背面から見ると、まごうことなき城郭建築。唯一現存する笠間城の建造物として非常に貴重な存在です。

 とまぁ、山頂から山麓まで笠間城を満喫することができました。かなりの距離を歩いたので結構くたびれましたが、せっかく茨城県にきたので笠間城と同じく続100名城になっている土浦城にも立ち寄りました。


土浦城はさくら祭りの開催中で賑わっていました


本丸入口の櫓門は明暦2年(1656年)のものが現存している

 霞ヶ浦の西端に位置する土浦城は幾重にも水堀を巡らせた平城でしたが、現在はその大部分が市街地となり、本丸と二の丸、御用米蔵の部分のみが公園として整備されています。

 非常にコンパクトな印象ですが、江戸時代の門が現存しており、また東櫓と西櫓が木造で再建されているなど本丸周りが良い感じです。東櫓は内部が公開されており、拝観料は土浦市立博物館と共通で105円とお得感があります。


立派な木材は国産のものを使用しているとのこと


二階からは満開の桜が面前で素晴らしかった

 というワケで、春の18切符をすべて使い切ることができました。次の旅行は5月中旬に沖縄へ行くことが決定しているのですが、最近再びお城熱が加熱してきているので、その前にちょっとだけ城巡りをしようかな。

posted by きむら at 15:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行

2019年04月07日

18切符で群馬三城攻略


 春の18切符旅行第三弾。4月2日に日帰りで群馬県の続100名城を巡ってきました。

 まずは東吾妻町にある岩櫃(いわびつ)城です。岩櫃山の中腹に位置する中世山城で、JR吾妻線の群馬原町駅から歩いて行ったのですが、その道中からしてとても楽しかったです。


岩櫃城へと向かう、番匠坂の入口


途中から未舗装の山道となり、雰囲気満点

 駅から岩櫃城まで約40分と結構な距離ですが、車で直接乗り付けるのでは味わえない風情ですし、駅から徒歩での登城を強くオススメしたいですね。


途中には水力発電のダムがあった……が、今の季節は水がないようだ

 東の木戸を過ぎた辺りから地形がなだらかになり、この辺りにはかつて城下町が広がっていたようですが、現在はダムが築かれています。岩櫃山も良く見えるようになり、いよいよお城に入るぞという気分が高まります。


右奥が岩櫃山の山頂で、その左手前が岩櫃城の主郭


要害地区に入った途端、横堀や竪堀が出迎えてくれた


程なくして中城に出た。要害地区で一番広い郭のようだ

 戦国時代、岩櫃城は吾妻氏の流れを汲む斎藤氏が吾妻郡を支配する拠点として使用していました。後に真田氏の領土となり、真田氏の本拠地であった信濃国の真田と上野国の沼田を繋ぐ重要拠点として整備されています。


まるで竪堀のようなV字型の山道を登っていくと――


二の丸を経て主郭の本丸に辿り着いた


主郭から伸びる竪堀がとてもダイナミック

 本当は岩櫃城から西の木戸を通って郷原駅へと抜けようと考えていたのですが、主郭で吾妻線の時刻表を確認したところ次の列車を逃すとその次までかなりの時間が空いてしまうことが判明。元来た道をたどって群馬原町に引き返しました。

 お次はJR上越線の後閑駅から徒歩約40分のところにある名胡桃(なぐるみ)城です。左右を断崖絶壁に囲まれた険しい山城ですが、現在は国道17号線が通っているのでなんてことはありません。まったくもって普通の道路なので面白みはありませんが。


尾根に沿って郭が並ぶ連郭式の山城です


コンパクトながら、遺構が良く残っていて往時の姿が想像しやすい


各郭は堀切によって仕切られおり、橋が架けられている

 名胡桃城は沼田城を築いた沼田氏により支城として築かれたとされ、戦国時代には真田氏が北条氏に奪われた沼田城を奪還する為の前線基地として整備しました。


ささ郭にある祠には、六文銭(真田氏の家紋)の形に五円のお供えが


一番先端の物見郭へは道が未整備で行くのがちょっと怖い感じ

 その後、豊臣秀吉の裁定により沼田城は北条氏の領土となりましたが、名胡桃城に関しては真田氏が「先祖の墓地がある」と(おそらく嘘の)主張をし、真田領のままとなります。


国道17号線から一望する沼田(左の木々が茂っている部分が沼田城)

 こんな沼田城の目と鼻の先に真田氏の名胡桃城があるなんて、北条氏にとってさぞ目障りだったに違いありません。事実、秀吉の裁定を不服とした北条氏は名胡桃城を強引に奪取し、この名胡桃城事件をきっかけに豊臣秀吉は小田原征伐へと乗り出し北条氏は滅亡。沼田城は真田氏のものとなり、名胡桃城は廃城となりました。

 こうなることを期待して真田氏は名胡桃城を死守したのか、あるいはこうなること期待して秀吉は真田氏に名胡桃城を安堵したのか、いずれにせよ知略渦巻く感じです。


というワケで、最後は沼田城を見てきました


現在、沼田城は公園になっており、地元の人々で賑わっています

 沼田城は上野国の要衝に位置しており、各勢力によって奪い合いがなされました。最終的に真田氏の領土となりますが、江戸時代中期に真田氏が改易され沼田藩は廃藩となり、沼田城も廃されます。その後に沼田藩は復興したものの、城の本格的な再整備はなされず明治維新を迎えました。なるほど、だから遺構があまり残っていないのですな。


それでも、西櫓台などに石垣が残っていたりする


あとは、河岸段丘の縁に位置する立地が見どころだろうか


それと、沼田城へ続く階段の木造アーケードがエモかった

 とまぁ、何とか一日で群馬県にある三箇所の続100名城を巡ることができました。やや鉄道の時間に追われたこともあって、各城ごとにもう少し時間を掛けたかったという感じもしますが、それでも良い城巡りができたと思います。

posted by きむら at 14:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行