2007年04月16日

親しみを持てる名の駅を訪ねて-中編



次に私が訪れたのは、長野県東部、東御市田中に位置する田中駅。山田町にあるから山田駅と名が付いたのと同様、田中駅も田中にあるゆえ付いた名なのだろう。

田中駅は、長野市から軽井沢までを横断する、しなの鉄道の駅である。東京に住む私にとって、田中駅までの道のりはとても長い。JR高崎線で群馬県の高崎にまで行った後、信越本線に乗り換え峠の釜飯で有名な横川駅へ。横川からはバスに乗り、かつては中山道の要所であった碓氷峠を越え軽井沢に入る。そして軽井沢でしなの鉄道に乗り込み、ようやく田中駅に到着だ。

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片道5時間の長旅であった

春とはいえ、高原の長野はまだ少々肌寒い。駅に降り立った私を迎えたのは、冷えた山からの風だった。とはいえそれは身が震えるほどのものではなく、むしろキリリと心身を引き締めてくれるような、なんとも爽快な風である。

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渋い木造建築の駅舎

田中駅は、駅舎のたたずまいからして都会のそれとは違う風情を持つ。駅前は、その規模にしてはやや広いロータリーが設けられ整備されているが、ふと町並みに目をやると、所々に古くも美しい木造家屋が点在しているのを見ることができる。

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町並みも凄く渋い

それもそのはず、かつてこの田中は、長野を経由して北陸に向かう北国街道 の宿場町、田中宿として古くから賑わっていたのだそうだ。しかしながら、町に平行して通る千曲川(ちくまがわ)が寛保2年(1742年)に氾濫、町は壊滅状態となって、宿場としての機能は隣の海野宿に移動してしまった。

しかしながら、主要宿場町としての立場は失いながらも田中は復興し、人々はたくましく生きてきた。この田中に点在する古い家屋こそが、江戸時代から今までこの地が守られてきた証拠に違いない。

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屋根の上に小屋根が乗っているのは
明治時代に養蚕業を行っていた名残である


さて、私は今、川の氾濫によって田中宿から海野宿に宿場機能が移転したと説明したが、その海野宿があった本海野は、田中から徒歩15分ほどで着くほど近い場所にある。せっかくなので、私はそちらにも足を運んでみた。

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かつての海野宿、本海野の町並み

ここ本海野は、国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されており、今でも海野宿時代からの古い町並みを見ることができる。道には水路が走り、立派な伝統建築が建ち並ぶその景観は、まさに見事の一言。

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卯建(うだつ)と呼ばれる防火壁が連なる
豊かな家にしか見られない卯建は「うだつがあがらない」の語源である


海野宿の町並みは単調ではない。宿場時代の旅籠建築のみならず、明治初期に盛んに行われた養蚕種紙(蚕の卵がついた紙)の生産を行うため、屋根に空調調節用の小屋根が付けられた家屋も多い。これは、田中にも点在していた家屋を、さらに豪華にしたような印象だ。

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優雅に揺れる春の七草ホトケノザ

しばらく歩きつづけ、私は川原へと出た。かつて氾濫し、田中の町に大きな被害を与えた千曲川だ。川原に立つと、風の強さをあらためて実感させられる。しかし、それは決して嫌なものではない。むしろ、この風の音、リズムは心地良く、いい気分にさせてくれる。なんとも気持ち良い風なのだ。

田中の春は、息づく歴史と伝統の中、爽やかな風が駆け抜ける、春。



posted by きむら at 11:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | コネタ
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