2019年09月10日

夏の18切符で続100名城巡り


 夏の青春18切符を利用して、関東から東海にかけての続100城を周ってきました。ちょっと長くなりますが、今回の18切符で訪れた城の報告です。

 まず1日目は千葉県。外房線といすみ鉄道を乗り継いで大多喜城に行きました。徳川四天王のひとり、蜻蛉切りで有名な本田忠勝の城です。ちなみに大原駅から大多喜駅への往復は、通常の切符よりも1000円の日フリー乗車券の方が少しおトク。


大多喜城の本丸跡には模擬天守の博物館が建っている

 他にも本丸には土塁が現存しており、その周囲には堀の一部が残っていたりもします。また二の丸には巨大な大井戸や御殿の薬井門が現存してるのですが、現在は高校の敷地になっているので、ちょっと入るのにためらいました。どうやら多少はお目こぼししてくれるらしく、高校生も観光客に慣れているのか挨拶してくれました。


その名の通り、日本一の大きさを誇るという「大井戸」


二の丸御殿の裏門だったという「薬医門」は校舎入口のすぐ側に

 大多喜城を見た後は城下町を少し散策しました。昔ながらの町並み……と言えるほど残っているわけではありませんが、ぽつぽつと古い町家があり、重要文化財や国登録の有形文化財になっています。

 大多喜からは千葉へと戻り、成田線に乗り換えて酒々井の本佐倉城に行きました。千葉氏が築いた広大な中世城郭です。


本佐倉城は水田の中にたたずむ丘陵を丸ごと使って築かれている

 駐車場にパンフレットがあったので、そのコースに従い城跡をぐるりと一周。土塁や堀、深い切通しなどが残っています。夏草がかなり茂っていましたが、コースに沿って部分的に刈ってくれているおかげで歩きやすかったです。


北西側にある虎口の跡


主郭より東山虎口の土塁から見る景色が印象的だった

 2日目は福島県の三春町にある三春城。東北本線で郡山駅までいき、そこから磐越東線で三春駅へ。駅から徒歩約30分で三春町の中心市街地に到着。緩やかな山並みに囲まれたコンパクトな町ですが、江戸時代は三春藩の城下町。明治における自由民権運動の発祥の地でもあります。


三春城の麓に広がる小学校には藩講所の表門であった「明徳門」が


現在は公園になっている二の丸跡には曲輪が連なっている


本丸の大門跡には礎石も残る

 三春城は想像していたよりも曲輪が良く残っており、なかなか散策のし甲斐があります。本丸には近世の石垣が部分的に残っており、また東側の番所跡の近くには中世の石垣もある……とのことですが、これがなかなか見つからない。それもそのはず、石垣の表面は夏草に覆われており、大変見づらい状態でした(でもなんとか見付けられた)。

 3日目は埼玉県行田市、後北条氏の家臣であった成田氏の居城である忍城(おしじょう)を見に行きました。JR行田駅からは少し距離があるので、駅前の観光案内所で無料のレンタサイクルを借りての登城。


秀吉の小田原征伐の際、石田三成が水攻めにした忍城

 水攻めを用いても忍城を攻略できなかったことから戦下手の烙印を押された石田三成ですが、水攻めの作戦立案は秀吉で三成はそれを実行したに過ぎないという説もあります。それが正しいのであれば、まぁ、中間管理職の悲哀という感じでしょうか。

 かつては周囲に沼地が広がっていたとのことですが、現在は水城公園以外はすべて埋め立てられており、かつての様相を偲ぶものは少ないです。むしろ城下町の方が見るものが多く、足袋蔵やノコギリ屋根の縫製工場など、江戸時代から近世にかけて栄えた足袋の生産を物語る建築が残っています。


さきたま古墳群にも立ち寄りました

 巨大な前方後円墳が残るさきたま古墳群は、前から行きたかった国指定の史跡。……が、月曜だったので博物館がやっておらず、国宝の稲荷山古墳出土鉄剣を見ることはできませんでした。残念。

 写真の丸墓山古墳は石田三成が忍城攻めの際に本陣とした場所とのこと。登ってみると確かに眺めが良く、忍城が一望のもとでした。


最後は「石田堤」を見てから帰りました

 石田三成は水攻めのために28kmにも及ぶ土塁を僅か一週間で築き、利根川や荒川の水を引き込んだといいます。しかし地形の都合上から忍城ではなく堤の方に水が溜まってしまい土塁は決壊。作戦は失敗に終わりました。その土塁の一部が現在も残っており「石田堤」と呼ばれています。

 4日目は岐阜県と愛知県、まずは大垣城を攻略です。美濃と近江の境に位置する要衝ですが、現在は津城などと同じように市街地に埋もれてしまい、商店街を歩いていてふと横を見たら「あ、こんなところに城があった」という感じでした。


大垣城は本丸だけがかろうじて残る


天守台の石垣には洪水の高さが刻まれている

 大垣は明治29年に大洪水に見舞われたとのことで、その水位の高さには少し驚きました。水の深さは4.2mにも及んだと言います。天災はホント怖いですね。

 ちなみに大垣城の天守は戦前まで現存していましたが、太平洋戦争の空襲によって焼失してしまい、現在のものは外観復元です。大垣城の側にある郷土館は天守のチケットで入ることができるのですが、時間があまりなかったので在りし日の大垣城のジオラマだけ見て後にしました。


郷土館は撮影禁止だが、このジオラマだけは撮影が可能

 続いては豊橋にある吉田城。東海道の宿場町でもあり、三河における重要な拠点のひとつでした。天守の代わりであった鉄櫓が模擬再建されています。


豊川越しに見ると絵になる鉄櫓

 町中にあるので大垣城と同様に遺構は少なめなのかと思いきや、本丸のみならず二の丸、三の丸にも土塁が残っているなど、悪くない状態です。本丸には石垣も残っており、なんでも一部は名古屋城の築城で余った石材を流用しているとかで、大名の家紋が刻まれている石もあります。


本丸を取り囲む石垣と掘

 ちなみに鉄櫓は15時に閉まってしまうので注意が必要です(私は本丸の写真を撮っているうちに、目の前で閉館した)。隣接する市庁舎東館の13階はちょっとした展示があり、その窓から城全体を眺めることも可能。


この木々に覆われた公園全体が、かつては吉田城だった

 5日目は静岡県にある3つの城です。まずは熱海から電車一本で行ける(でも2時間半乗りっぱなし!)浜松城。徳川家康が武田氏の侵攻に備えて築いた城で、駿府城を築くまで家康が長らく居城としていた城です。


石垣で築かれた天守曲輪には模擬天守が聳え建つ


八幡櫓跡からは石垣、天守門、天守を見渡すことができる

 例のごとく市街地化に飲み込まれ、本丸の天守曲輪とその周囲しか現存していませんが、荒々しい雰囲気の石垣はなかなか良い感じ。ただ、石垣の間に詰め込まれた小さな石材が昔の観光客に抜かれてしまったらしく、ややすきっ歯な印象ですかね。


かつては附櫓があった部分、模擬天守は附櫓を再現していない

 浜松の象徴かつ土曜日ということもあり、浜松城は朝から結構な人出。特に天守内はかなり混みあっていました。天守の周囲を見た後は、浜松城の前身である引馬城(現在は東照宮が鎮座)も見に行ったのですが、ここもやはり結構な参拝客がいました。

 浜松駅の後は、東海道線を少し戻って大井川のたもとにある金谷駅へ。そこから旧東海道を上って諏訪原城へ行きました。ここはカブ旅行で来たことがあるのですが、以前よりも整備が進んでおり新たにビジターセンターもできていました。


石畳が敷かれた旧東海道

諏訪原城は武田氏が築いた要衝の城で、武田流の築城技術である三日月掘りによる丸馬出が二の丸を取り囲んでいるのが特徴的です。二度目なのでさらっと流すつもりだったのですが、発掘調査に基づいて再建された門や、新規の案内板もあったのでついつい一通り周ってしまいましたよ。


巨大な三日月掘りが迫力満点


以前は見てなかった堀の下のカンカンを見ることができて満足

 最後は富士山の南麓、愛鷹山の麓にある興国寺城です。北条早雲が初めて城主を務めた城で、ここを足掛かりに伊豆国を手に入れ、そして関東へと進出していきました。


本丸、二の丸、三の丸が段状に続く

 中でも本丸は巨大な土塁によって三方を囲まれており、なかなかにユニークな縄張りです。本丸の裏手は天守台もあり、部分的ではありますが石垣も見られます。


天守台を支える石垣


天守台の背後、北曲輪との境には深い堀もある

 史跡としての整備が徐々に進んでいるようで、かつて三の丸にあった住居はすべて撤去されています。今後はもっと散策できる範囲が広がりそうな気がしますな。

 というワケで、夏の18切符では全部で9の城を巡ることができました。冬の18切符期間でも、精力的に城巡りをしたいと思っています。……が、その前に、徐々に涼しくなってきているこの秋、カブでちょいと長めの旅行に出たいと思います! 目指すは北の大地!

posted by きむら at 21:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/186540668
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック