2019年03月18日

18切符で三重&滋賀の一泊二日旅行


 春の青春18切符旅行第二弾として、3月12・13日の一泊二日で三重県と滋賀県に行ってきました。主目的は2017年に国宝指定された津市の「専修寺(せんじゅじ)」と、2018年に重要文化的景観に選定された「伊庭(いば)内湖の農村景観」です。

 まだ日も昇らない早朝に出発して電車を幾重にも乗り継ぐこと約7時間、昼過ぎにJR紀勢線の一身田(いっしんでん)駅に到着しました。歴史ある町家が並ぶ寺内町を進んでいくと、すぐに巨大な唐門が見えてきました。


専修寺の唐門。奥には二重門の山門が構えられている

 江戸時代後期の唐門は一般的な寺院の本堂にあたる如来堂の前に構えられており、江戸時代中中期の山門は宗祖親鸞および歴代上人の画像を祀る御影堂の前に構えられており、いずれも重要文化財です。


広々とした境内に聳える如来堂(左)と御影堂(右)

 専修寺は浄土真宗高田派の本山。庶民を中心に広まった真宗ではより多くの参拝者を収容するべく仏堂が巨大化する傾向にあるのですが、いはやは、これは凄い! 門も堂宇も京都の本願寺に引けを取らない規模です。近年まで重要文化財止まりだったのが不思議な程の壮大さ。

 延享元年(1744年)建立の如来堂は大陸由来の禅宗様でどっしりと力強く、寛文六年(1666年)建立の御影堂は日本古来の和様で落ち着いた気品ある雰囲気で、その対比も素晴らしいですね。両堂は「通天橋(つうてんきょう)」と呼ばれる渡り廊下で接続されており、これは寛政12年(1800年)の建立で重要文化財。

 専修寺の境内には他にも数多くの歴史的建造物があり、計11棟が重要文化財に指定されています。境内東端に構えられている太鼓門もまたそのひとつ。文久元年(1861年)に整備されたもので、東門としての役目も担っています。とてもユニークなシルエットで引き付けられました。


まるで塔層型の天守のような三重の櫓が特徴的な太鼓櫓

 また境内西側の奥まったところには親鸞の歯骨5粒が納められた「御廟」があり、その前には安政5年(1858年)の「御廟拝堂」と「御廟唐門及び透塀」が建てられており独特の雰囲気を醸しています。これらもやはり重要文化財。


陵墓らしくひっそりしっとりとした佇まいの「御廟拝堂」

 とまぁ、専修寺の境内を一通り周り終えて拝観を終えた後は、再び紀勢線に乗り込んで「津駅」まで行きました。続100名城に選ばれている「津城」に寄る為です。津駅からだとかなりの距離があって結構歩きました。

 津市は今でこそ日本一短いひと文字の地名ですが、かつては安濃津(あのつ)と呼ばれる湊町として賑わっていました。戦国時代に織田信長の弟である織田信包が安濃津の地に本格的な城を築き、江戸時代に入ると築城の名手として名高い藤堂高虎が津城を近代城郭として大々的に改修。以降、津藩は明治維新まで藤堂氏が治めていました。


津城の本丸を取り囲む濠と石垣

 現在、津城は本丸の部分のみが「お城公園」として整備されており(本丸以外は埋め立てられて市街地化されており、城跡として見られる部分はコンパクト)、日本庭園が整備されています。その入口には藩校であった「有造館」の正門である「入徳門」が移築されています。


津城に関する建造物では唯一現存する「入徳門」

 藤堂高虎の城といえば高石垣と、石垣の周囲をめぐる犬走。津城でも健在で、しかも石垣の上に登ることも可能です。でも、かなりの高さがある上に、手すり等がないのでちと怖い。


怖くて高石垣の縁に立つことはできませんでした

 津からはJR関西本線と草津線を経由して琵琶湖沿岸へと向かい、南彦根へのビジネスホテルにチェックインして一日目は終わり。

 二日目はまず続100名城の八幡山城がある近江八幡へ行こうと考えていたのですが……なんと車両トラブルで京都から米原にかけての電車が始発から止まってるとのこと。程なくして運行は再開されたのですが、出鼻をくじかれた上に天気もあまりよろしくなかったので、近江八幡は諦めて主目的の伊庭集落を目指しました。

 南彦根から伊庭集落の最寄り駅である能登川駅まではわずか3駅なのですが、電車が止まっていた影響で遅延が凄くてかなり遅く到着しました。やはり近江八幡はやめておいて正解……というか、いずれにせよ行けなかった感じです。


葦が生い茂る伊庭内湖に辿り着いたのは9時過ぎ

 伊庭集落は琵琶湖の内湖のひとつである伊庭内湖の沿岸に存在する集落です。集落内には石積の水路が幾重にも張り巡らされており、かつては舟で行き来していたとのこと。水路へ降りる階段や船溜を持つ家もあります。


水路にはかつて使われていた田舟が展示されている

 現在は水路の幅が狭めれたり、橋が架けられたりしていて、舟が通ることはできませんが、それでも昔から水と共にあった伊庭集落の雰囲気はひしひしと伝わってきます。私が集落の写真を撮っていると、家からバケツを持ったおばあちゃんがひょいと出てきて水路の水を汲んでいく姿も見られ、今もなお水路が活用されていることが分かります。


水路に下りる石積の階段。年季入っている


水路の水を敷地内に取り入れる施設を持つ家も

 不思議なのは、水路のみならず各家の敷地内からも水がちょろちょろと出ていること。といっても生活廃水ではなく、地中に打ち込まれたパイプから水があふれている家もありました。地下水なのでしょうか。


庭先のパイプから水が湧き出る不思議な光景


妙楽寺の境内には四ヶ寺が同居する

 伊庭集落の中心部には妙楽寺というお寺があるのですが、その境内には四つの独立したお寺が同居しており、なんとも独特な景観を作り出しています。大寺院の子院とかならよくありますが、集落内にある規模のお寺でこのように同一の境内に寺院がいくつも密集しているのは見たことがありませんでした。

 また伊庭集落の南には伊庭山が聳えています。伊庭集落内の水路を流れる水の源であり、またその山頂には繖峰三神社が鎮座しています。


集落の入口に鎮座する大濱神社から見る伊庭山

 毎年5月4日にはこの繖峰三神社から神輿を引き下ろす「伊庭の坂下し祭」が行われています。せっかくなので繖峰三神社まで上ってみようと思ったのですが……。


その参道がもの凄く急で、諦めました

 繖峰三神社への参道……というか登山道は、非常に急かつ水で濡れていて滑りやすく、なおかつ岩が脆くて足場が不安定なのです。ここを行くには相応の装備が必要だと考え断念しました。「伊庭の坂下し祭」は近江の奇祭のひとつに数えられているということですが、なるほど、こんな危険な坂道を転がるように下りるとなると、そりゃ奇祭といわれるのも納得ですな。

 満身創痍で麓に戻ってきた時には正午過ぎ。できれば米原の東の山にある続100名城の鎌刃城にも寄りたかったのですが、駅からかなりの距離がある上に電車の遅延もあったので、潔く帰ることにしました。まぁ、今回の旅行の主目的二箇所は達成したのでヨシとしましょう。

 18切符は残り二日分。さてはて、次はどこへ行くとしますかな。

posted by きむら at 19:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行
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