2018年11月18日

史跡等の指定について


 2018年11月16日(金)に開催された文化審議会で「史跡等の指定等について」の答申がありました(→文化庁サイト)。内容は以下の通りです。

【史跡】
・チャシコツ岬上遺跡(北海道斜里郡斜里町)
・棚倉城跡(福島県東白川郡棚倉町)
・下寺尾西方遺跡(神奈川県茅ケ崎市)
・城の山古墳(新潟県胎内市)
・甲府城跡(山梨県甲府市)
・舟来山古墳群(岐阜県本巣市)
・勝山御殿跡(山口県下関市)
・高松藩主松平家墓所(香川県高松市・さぬき市)
・安徳台遺跡(福岡県那珂川市)

【名勝】
・旧益習館庭園(兵庫県洲本市)

【天然記念物】
・銅山峰のツガザクラ群落(愛媛県新居浜市)
・竹田市神原の大野川水系イワメ生息地(大分県竹田市)

【登録記念物】
・会津飯森山白虎隊士墳墓域(福島県会津若松市)
・丹藤氏庭園(旧三上氏庭園)(青森県弘前市)
・興禅寺庭園(看雲庭)(長野県木曽郡木曽町)

【重要文化的景観】
・宇和海狩浜の段畑と農漁村景観(愛媛県西予市)

 水田の耕作に適さなかった北海道では弥生時代以降も狩猟文化が続き、独自のアイヌ文化が発展していきましたが、それとは別に北海道北岸や樺太、千島列島などのオホーツク海沿岸地域では、海獣狩猟や漁業を中心とするオホーツク文化が発展しました。知床半島の付け根にある斜里町の「チャシコツ岬上遺跡」は、オホーツク文化の終末期を中心とする集落遺跡です。8〜9世紀に渡る31棟の竪穴や墓、捨て場などが密集しており、また古代律令国家の貨幣である神功開宝が出土するなど、周辺地域を介して日本本土との交易があったことが分かっています。アイヌの文化は知らないことが多くてとても興味深いです。

 神奈川県茅ケ崎市の「下寺尾西方遺跡」は弥生時代中期後半の環濠集落跡です。その環濠は東西約400m南北250mで58棟の竪穴住居が出土しており、南関東最大級の環濠集落となっています。私が住む神奈川県綾瀬市の弥生遺跡「神崎遺跡」の環濠は東西64m南北103mなので、いかに巨大な集落だったのかが分かりますね。ちなみに「下寺尾」という名称になんか覚えがあるなと思ったら、既指定史跡である「下寺尾官衙遺跡群」の範囲の大半と重複するとのこと。同じ範囲の遺跡が時代ごとに個別に史跡指定される例は、他にあるのでしょうか。相当なレアケースだと思われます。

 山梨県は甲府の駅前に広がる甲府城。関東に押し込めた徳川への抑えとして築かれた初期織豊系の平山城であり、江戸時代には逆に関東守りの要として幕府の直轄地となっていました。甲府のシンボルともいえる存在であり、櫓や門などが再建されています。っていうか、まだ史跡じゃなかったんだ。存在が不明確な天守再建の動きも一部あるようですが、今回の史跡指定によって立ち消えになるのでしょうね(国指定史跡での建物の再建は、その存在や形状を示す資料が必要なので)。

 また新指定ではありませんが、大阪府の百舌鳥古墳群と古市古墳群の追加指定が行われています。両古墳群は「百舌鳥・古市古墳群」として来年の世界遺産委員会で審議されるので、その保護措置をより完全にするものでしょう。それと追加指定では、四国四県の遍路道を毎回楽しみにしているのですが、残念ながら今回はありませんでした。「四国八十八箇所霊場と遍路道」も世界遺産を目指しているとのことですが、この史跡指定のペースでは推薦は当分先でしょうね。地道に少しずつ進めてもらいたいものです。

posted by きむら at 11:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文化財
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