9月12日から28日にかけて行ってきた北海道&東北のカブで旅行では、北海道南部と東北の続100名城や文化財を見てきました。今回はその後半です。
津軽半島を後してからは、青森県東部から岩手県にかけての旧南部藩領の城を見てきました。まずは七戸町にある七戸氏の居城であった「七戸城」。

本丸は神社二の丸は公園とよくある感じだが、東門から登る雰囲気が良い
続いては南部町にある「聖寿寺館跡」。南部氏が室町時代から戦国時代にかけて本拠地としていた居館跡で、その背後には南部氏の菩提寺であった三光寺も存在します。

聖寿寺館跡は発掘の真っただ中のようでした
三光寺の隣には覆屋で保護された重要文化財の「南部利康霊屋」があり、きらびやかな桃山様式の霊廟建築を堪能することができました(これは写真撮影禁止)。他にも三光寺には南部利直の霊屋や南部信直夫妻の墓所があるはずなのですが、三光寺とトラブルがあったのか境内が立ち入り禁止になっており、残念ながら見ることは叶わず。
気を取り直して岩手県に入り、二戸市にある南部氏の有力家臣であった九戸氏の居城「九戸城跡」を見てきました。南部氏の跡継ぎ争いにて南部信直と対立した九戸政実が蜂起、籠城した城で続100名城に選ばれています。

九戸城は中世の曲輪も残るが、本丸などの中心部は近世の改築
時の天下人であった豊臣秀吉が信直を後継者と認めたことから政実はそれに背く謀反者となり、豊臣家臣オールスターで兵を差し向けられます。しかし九戸城を落とすことはできず、結局は偽の和親という計略で降伏し、捉えられて斬首。城内にいた者は老若男女問わずなで斬りにされたといいます。
城以外にも縄文遺跡や重文の古民家など、岩手県北部の文化財を堪能した後は西へと進み秋田県に入りました。鹿角市にある「大湯環状列石」にも相当久しぶりに立ち寄りました。

特別史跡に指定されている、二つのストーンサークルです
そのままの勢いで日本海に出て一気に南下。男鹿半島の南岸にある「脇本城」に上りました。海沿いの断崖絶壁に曲輪が築かれている安東氏の中世山城で、続100名城。

海に突き出た岬を利用しており、物凄いロケーション
続いては秋田市にある「秋田城」。城とはいっても武士が築いた中世・近世の城郭ではなく、大和朝廷が地方統治の拠点として築いた古代城柵です。最北の城柵ということで、日本海側における蝦夷対策の最前線だったことでしょう。渤海など大陸との交流もあったようです。ここも続100名城。

秋田城にはなんと水洗トイレがあり、再現されています
水洗トイレは迎賓館のあった場所から発掘されたそうで、斜面に木樋が通されており、用を足した後に甕に溜めておいた水を流すことで汚物を湿地帯に落とす仕組みだったようです。凄いですね。
秋田市からさらに日本海沿いを南下。その途中の象潟では九十九島と呼ばれる風景を見たりもしました。松尾芭蕉も訪れており、奥の細道で詠まれた最北の光景です。

かつては潟湖に島々が浮かんでいたが、江戸時代後期の地震で隆起したそう
またその南の由利海岸には江戸時代に築かれた波除けの石垣が続いており、歴史ある風情を醸しています。

江戸時代に築かれた防波堤の「由利海岸波除石垣」
そして山形県に入り、鶴岡市の続100名城「鶴ヶ岡城」へ。江戸時代に庄内藩の藩庁が置かれていた平城で、現在は本丸と二の丸の一部が残っています。

本丸には護国神社が鎮座している鶴ヶ岡城
その西側の三の丸には藩主の酒井氏が築いた庭園が残っており、地域の古建築を移築した「致道博物館」として公開されています。入場料は800円と少々お高めですが、「旧鶴岡警察署」「旧西川郡役所」「渋谷家住宅」と三つの重要文化財が集まっており、また庭園は名勝指定。さらには重要有形民俗文化財も公開されており、かなり満足できました。

「旧鶴岡警察署」のベランダから見た致道博物館
また東側の三の丸には藩校であった旧致道館があったのですが、訪れた水曜日は定休日で見ることができませんでした。この手の施設の定休日は火曜日が多いのですが、まさか水曜日とは。残念。
どんどん南下して山形県を抜け、新潟県の村上市にある「村上城」へ。山の上に聳える中世山城ですが、江戸時代に近世城郭へと改築され、村上藩主の居城として使われていました。

山の頂上に壮大な石垣が連なる「村上城」も続100名城
私は夕方近くに訪れたのですが、老若男女問わず結構な人数が登っており、地元の人々に親しまれているのだなぁと感じました。
村上市からは東の山を越えて再び山形県に入り、米沢市へと抜けました。江戸時代に上杉家の居城であった「米沢城」もまた続100名城です。ただ、ここは以前にも来たことがある&上杉神社の参拝客が多すぎるので早々に辞去しました。

現在の米沢城は鶴ヶ岡城と同じような感じで、本丸に上杉神社が鎮座する
米沢からはさらに東へ山を突っ切り、宮城県の白石市に出ました。仙台藩の支城として片倉氏が入った「白石城」は、天守代わりの三階櫓が史実をもとに木造で再建されています。ここも続100名城。

どうみても天守だけど、幕府に気を使って「大櫓」と称していたとのこと
その後は南下して福島県に入り、途中で伊達市の史跡や重要文化財などを見ながらゆるゆると会津を目指しました。

明治初頭の築かれた儀洋風建築の「旧伊達郡役所」

伊達氏が最初に居城としていた「桑折西山城跡」

福島古民家園に移築されている、明治時代の芝居小屋「旧広瀬座」
そして締めは会津本郷にある続100名城の「向羽黒山城」。蘆名氏が築いた中世山城で、山の頂上から尾根に掛けていくつもの曲輪が連なり、堀切や竪堀で防除しています。

あまりに壮大すぎる山城で、すべてを周ることはできなかった
かなり大きな山を山頂から麓にかけて丸ごと使っているので複雑に入り組んでおり、また主要なところ以外は案内板などの整備があまりないので道が分かりにくく、遭難しそうだったので深入りできなかった感じですね。いや、ホント、凄まじく大きな山城でした。
というワケで、だらだらと綴った感じで恐縮ですが、9月の北海道&東北旅行で見たもののご報告でした。次回は来週くらい、秋旅行の後半戦として10月に行ってきた北陸旅行の報告を更新する予定です。