2019年02月26日

旧横浜船渠のドック見学会に行ってきました


 江戸時代末期の開港以降、国際貿易港として現在まで発展してきた横浜港。そのかつての中枢にあたる旧横浜船渠の敷地(現在のみなとみらい地区)には二基のドライドックが現存します。「旧横浜船渠株式会社第一号船渠」(以下1号ドック)は明治32年(1899年)の竣工、「旧横浜船渠株式会社第二号船渠」(以下2号ドック)はそれより早い明治30年(1897年)に竣工しており、それぞれ国の重要文化財に指定されています。

 そのうち1号ドックは昭和5年(1930年)建造の帆船「日本丸(にっぽんまる)」(これもまた重要文化財)を繋留保存する現役のドックとして活用されているのですが、昨年末から日本丸の大規模修繕工事のため水を抜いた状態になっています。2月24日(日)にドック底へ下りられる見学会が人数限定の事前申込制で開催され、運良く参加することができましたのでその様子をレポートします。


というワケで水を抜いた1号ドックをどーん!


水面との高低差がドライドックの醍醐味だと思う

 ドライドックは船を入れた後に扉船で海水をせき止め、ドック内の水を抜いて船を修理するための施設。とはいえ、日本丸を繋留する1号ドックは通常海水で満たされており、前回水を抜いたのは平成11年(1999年)と20年前のこと。次に水を抜くのはいつになるか分からない、非常にレアな姿です。

 見学会は午前と午後の二回開催され、私が参加できたのは午前の会。10時に受付開始で10時15分からのスタートでした。参加費用は資料代・保険料などで500円。まずは「横浜みなと博物館」の企画展「横浜船渠 ドック物語」を見学し(とても面白かったのでオススメです)、それから1号ドックの見学です。


参加者は老若男女様々でした

 持参した軍手とお借りしたヘルメットを着用し、手すりを掴みつつ急勾配の階段を下りてドックの底へ。現在も修理中なだけあって、そこらに資材やフォークリフトが置かれていてまさに工事現場といった雰囲気。


絶賛修理中の日本丸はシートで覆われています


内部をちょっと覗いてみると……かろうじて舵が見えた

 船底がほとんど見えないのが残念だけど、まぁ、今回はあくまでもドックの見学会なので日本丸は対象外。足場が取り外された頃にまた見に来るとしましょう。

 さてはて、肝心の1号ドックですが、普段は海水に浸かりっぱなしということもあって、至る所にその痕跡が見て取れました。


水面より下は色がキレイだけど貝殻の跡がびっしり


金属類はやはり腐食が激しいですな

 水を抜いた後に高圧洗浄機で掃除したとのことですが、長年に渡りへばりついた貝殻は落としきれないよう。それでも石造ドックの雰囲気は素晴らしく、底に立って周囲を見渡すだけでも迫力に心がときめきます。いやぁ、素晴らしい、素晴らしい。

 全員が底に下りると、職員さんによるドックの詳しい説明が始まりました。ドックの建造に使った石材は真鶴で切り出し、船で一晩かけて運んだとのこと。おぉ、江戸城と同じ石材なのですな。

 また現役時には4時間でドックの水を排出していたのだけど、長らく水を抜いておらず急激に圧力が変化すると危険なことから2週間かけて少しずつ水を抜いたとの話も聞けました。なるほどなぁ。


続いて渠頭へと向かいます


このスロープは資材を下ろすためのものなのだとか


ここから先は増築部分でコンクリート製

 船の大型化に伴い、1号ドックは大正7年(1918年)に渠頭部を内陸方向へ延長しており、増築部分は石造ではなくコンクリート造になっています。その境目には煉瓦が見えますが、これは増築前の渠頭部分が煉瓦造だったことの証。その煉瓦を再利用したらしく、増築後の渠頭もまた煉瓦造となっています。


そそり立つ壁に囲まれるような感じで迫力満点な渠頭部


このパイプは水を循環させる為のもので、今は使われていないらしい


地下水が染み出した煉瓦は歴史が感じられる質感


コンクリートの亀裂からも水が染み出している

 これらの湧き水はドックが崩壊しかかっている前兆とかではなく、地面を掘って造成するドライドックではごく自然な現象なのだとか。水は底からも染み出しており、ドックの下に排水溝を設けることで水浸しになることを回避しているとのこと。様々な技術を駆使しているのですなぁ。


再び渠口部に戻ってきました


かつてポンプ室に繋がっていた排水口跡と、現在の排水ポンプ

 1号ドックは現在も日本丸の繋留に使われていることもあり、私はてっきりポンプ室が現存していると思っていたのですが、実際にはポンプ室はとっくに撤去されていました(1号ドックと2号ドックの間にあったそうで、現在は道路になっています)。なので、ポンプ室へ繋がっていた排水路は封鎖されており、現在ドックの排水は外付けのポンプで行っています。

 ちなみに1号ドックの東側にある広場には排水ポンプのカバーが残されており、これもまたドックの附けたりとして重要文化財です。


ポンプカバーは広場のモニュメントと化している


1号ドックの見学を終え、地上に戻る参加者一行


ヘルメットを返却し、2号ドックへ向かいます


その途中、外側から1号ドックの扉船を見学

 石積は扉船の外側にまで及んでおり、その翼壁までがドックの構造体として重要文化財とのこと。実に細やかな説明で理解が捗ります。

 それから道路を渡り、横浜ランドマークタワーに移動しました。2号ドックはその直下に位置しているのです。


ドックヤードガーデンとして整備された2号ドック

 現役のドックとして維持されている1号ドックとは違い、2号ドックはランドマークタワー建設の為に元の位置より南に移築されており、さらにイベントスペースとして活用すべくガッツリ改造されています。登録有形文化財ならともかく、現状維持が基本な重要文化財でこれは良いのかと思ってしまいますが、そんな私の考えを解説員さんが察してくれたのか、活用の為の改築は認められるようになっていると教えてくれました。

 確かに、同じく横浜港にある「赤レンガ倉庫」も商業施設として手が加えられていますし、「明治の五大監獄」のひとつである旧奈良監獄も現在ホテル等の複合施設に改築工事中ですし、特に近代建築は活用のための改築を認めていく方向なのでしょうな。頑なに現状変更禁止を貫こうとすると「それじゃぁ、残しておくメリットがないから壊します」ってことになりますし。


ロープ巻き揚げ機のエンブレムがカッコ良い

 とまぁ、2号ドックの説明と見学を終え、見学会のアンケートを書いたところで現地解散。見学会はちょうど12時に終わりました。

 水を抜いた1号ドックに下りられるまたとない機会であったこともありますが、ドックについての説明をじっくり聞けたことや、2号ドックの活用についてなど、体験のみならず知識としても得られた成果は大きかったです。募集期間が短かったにも関わらず定員の1.5倍の応募があったとのことで、参加できて本当に良かった!


水上バスの着水の瞬間も見ることができました

posted by きむら at 13:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行

2019年02月01日

大船散策〜「玉縄城」と「田谷の洞窟」


 今年も時間が過ぎるのがあっという間で、もう2月になってしまいましたね。1月11日に大船の「玉縄城」と「田谷の洞窟」を見てきましたので、今更ながらそのレポートです。

 玉縄城は戦国時代に北条早雲こと伊勢宗瑞が三浦氏討伐の前線基地として築いた城で、JR東海道線の大船駅から西にいったところにあります。極めて壮大な縄張りを持つ平山城ですが、残念ながら現在は大部分が宅地開発されており、本丸に至っては清泉女学院の敷地になっていて無断で立ち入ると逮捕されます。通常見ることができる遺構は、七曲坂と呼ばれる登城道の周囲だけです。



 七曲坂の途中には冠木門が構えられていて城っぽい雰囲気を醸していますが、当時の道とは多少のズレがあるようですね。坂を登り切ったところには虎口の跡が残っており、その隣に位置する太鼓櫓跡の平場がちょっとした緑地公園として整備されています。



 太鼓櫓跡の下には焔硝蔵跡の平場や堀切も残っており、太鼓櫓跡から見下ろすことができます。焔硝蔵跡は今はまだ立ち入りできませんが、どうやら整備が進められているようなので、そのうち公開されるかもしれません。



 玉縄城のある玉縄地区の入口には龍宝寺というお寺があります。玉縄城の三代城主であった北条綱成が創建した寺院にルーツを持ち、豊臣秀吉の小田原征伐の際には龍宝寺の住職が城主を説得して無血開城したと伝わっています。



 龍宝寺の境内にある歴史民俗資料館では玉縄城の模型が展示されており、在りし日の玉縄城の姿を目にすることができます。谷戸が複雑に入り組んだ丘陵をうまく利用していることが見て取れますね。



 また歴史民俗資料館の裏手には江戸時代中期の元禄年間に築かれた旧石井家住宅が移築保存されています。元は玉縄の北隣に位置する関谷村にあった名主の家で、神奈川県に残る伝統的な農家建築の典型例として国の重要文化財に指定されています。



 玉縄城について調べるまで、ここに重要文化財の古民家があったとは全く知りませんでした。外観こそ地味ですが、曲がりくねった木材をうまく利用した梁に目を見張りました。一見の価値ありです。



 とまぁ、玉縄地区の散策がなかなか楽しかったので、TravelJPに記事を書きました。

北条早雲が築いた名城〜鎌倉「玉縄城跡」に残る遺構と古民家

よろしければご覧ください。

 玉縄城の後には、北側の田谷地区にある定泉寺に行きました。GoogleMapに「瑜伽洞(田谷の洞窟)」と記されており、前々から気になっていたのです。玉縄城のついでという感じで何気なく立ち寄ったのですが、これが予想よりも遥かに凄かった!



 内部は撮影禁止なので文字のみでの説明となり恐縮ですが、立体的に入り組んだ通路や要所要所に点在する部屋に様々な仏像、西国三十三所・坂東三十三箇所・秩父三十四箇所・四国八十八箇所の各霊場の本尊や曼荼羅がびっしり刻まれているのです。この洞窟ですべての霊場に参詣したのと同じご利益を得るという趣旨なのでしょうね。

 まさに修行の人工洞窟といった雰囲気の一方、最後には水が湧き出す部屋に弘法大師が鎮座していたりと、エンターテインメント性も併せ持っているというような印象を受けました。この洞窟は鎌倉時代にルーツを持つといいますが、今に見られる姿になったのは霊場参詣が流行した江戸時代中期以降、おそらくは洞内の湧き水を灌漑に利用するために洞窟の開削が行われたという江戸時代後期の天保年間に完成したのではないかと思います。極めて独特な信仰霊場として必見ですよ。

posted by きむら at 15:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行