2019年05月27日

国宝・重要文化財(建造物)の指定について


 先日、沖縄から戻ってきました。主目的であった大東島をはじめ、とても収穫の大きい取材旅行だったと思います。今後、少しずつ記事化していきたいと思います。

 さて、そんなさなかの2018年5月17日(金)に開催された文化審議会において「国宝・重要文化財(建造物)の指定について」の答申がありました(→文化庁サイト)。内容は以下の通りです。

【国宝】
・旧開智学校校舎(長野県松本市)

【重要文化財】
・旧柏倉家住宅(山形県東村山郡中山町)
・旧山崎家別邸(埼玉県川越市)
・永平寺 仏殿、法堂、山門、中雀門、僧堂、大庫院、大光明蔵、監院寮、回廊(5棟)、承陽殿本殿及び拝殿、承陽門、経蔵、松平家廟所門、舎利殿及び祠堂殿、勅使門(福井県吉田郡永平寺町)
・早川家住宅 主屋、裏座敷、洋館、辰巳庫、下男部屋、辰巳隅職人部屋、飯米蔵、西ノ庫、土地(岐阜県海津市)
・真宗本廟東本願寺 御影堂、阿弥陀堂、御影堂門、阿弥陀堂門、鐘楼、手水屋形(京都府京都市)
・根来寺 大伝法堂、光明真言殿、大門、不動堂、行者堂、聖天堂(和歌山県岩出市)

【重要文化財(追加指定)】
・旧西尾家住宅 外塀、内塀(大阪府吹田市)
・福田家住宅 上の蔵、下の蔵、土地(鳥取県鳥取市)

 松本城の北側に位置する旧開智学校が国宝指定です。明治9年(1876年)に建てられた擬洋風建築で、西洋文化を受け入れ始めた黎明期の代表例として重要かつ、近代教育の始まりとしても歴史的な価値が高い建築です。


八角形の塔や、車寄せの装飾が印象的な「旧開智学校校舎」

 近年は国宝建築を持たない県から国宝が選ばれることが多いのですが、今回は国宝の多い長野県から。とはいえ、これまで国宝になかった明治初期における擬洋風の近代学校建築ということで、その指定には大いに納得です。

 国宝近代建築の厚みが徐々に増していってる感じで、今後も近代建築評価の流れは続いていきそうですね。次に国宝になる近代建築の私の予想は、ズバリ、新一万円札の絵柄にもなる「東京駅丸ノ内駅舎」! さてはて、どうでしょうか。

 重文では、永平寺、東本願寺、根来寺といった大寺院が目を引きます。いずれも幕末から近代にかけて整えられた伽藍で、ようやく重文になるのかって感じですね。特に明治28年(1895年)に再建された東本願寺の御影堂や阿弥陀堂は木造仏堂としては最大規模で、まだ重文でなかったのが不思議なくらい。

 残念ながら今回は重要伝統的建造物群保存地区の選定はなし。次の文化財答申は、来月中旬の史跡等指定ですね。楽しみです。

posted by きむら at 14:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文化財

2019年05月11日

旅行における同人誌販売の一時停止について


 5月13日から沖縄に行ってきます。主目的は北大東島です。沖縄は本州よりも梅雨入りが早く、しかも雨風の影響を受けやすい離島にこの時期行くのはなかなか無謀な感じもしますが(沖縄の梅雨入りが5月中旬頃と知ったのは航空券を買った後でした……)、スケジュール通りに帰って来れるよう祈りながら行ってきます。

 つきましては、家を離れて発送処理ができなくなるため、本日より同人誌の販売を一時停止させて頂きます。再開は5月23日の予定ですので、どうぞよろしくお願いします。

posted by きむら at 09:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 同人誌

2019年04月25日

神奈川&東京の続100名城巡り


 最近、再び自分の中で城熱が高まってきているということもあり、ここ数日で自宅から近い神奈川県&東京都にある続100名城を巡ってきました。

 まずは豊臣秀吉が天下統一の仕上げとして小田原を攻める際に築いた石垣山城。後北条氏の本拠地である小田原城の南東、笠懸山の頂上に位置しており、急な農道を上っていくと突如として巨大な石垣が現れます。


関東で初めて築かれた総石垣の城です


現在は石垣の多くが崩れかけている

 石垣山城は完成してから木々を伐採したことで、小田原城からはまるで一夜にして城が出現したように見えたことから「一夜城」とも呼ばれています。

 天下統一を間近にした秀吉の権威を象徴するかのように、ただの前線基地とは思えないほどに立派な城郭です。これが突如として現れたのだから、後北条氏の戦意は瞬く間にしぼんだことでしょう。

 石垣山城は後北条氏の滅亡と共に役目を終えて破棄され、現在は石垣が崩れかけていて少々痛々しい感じです。


本丸には天守台の跡もあり、とても立派な近世城郭


広々とした二の丸には、馬屋が置かれていたらしい

 圧巻なのは二の丸の北側にある井戸曲輪です。谷の地形を石垣で塞いで井戸としたもので、現在も石垣が崩れることなく往時の姿を留めています。


石垣に囲まれたすり鉢状の底で、現在も水が湧いています

 四方を石垣で囲まれたその内部は、まるでインドの階段井戸のようで物凄い存在感。これを見に来るだけでも石垣山城を訪れる価値は大いにあると思います。写真では伝えきれない迫力なので、ぜひとも実際に目で見て頂きたい。

 さて、お次は品川台場です。幕末に黒船の来航に脅威を感じた江戸幕府によって築かれた砲台跡で、お台場という地名の由来にもなっています。江戸湾(東京湾)を塞ぐように計11基の築造が計画されて6基が完成。その後の撤去や埋め立てにより、現在は第三台場と第六台場のみが現存しています。


現在はお台場海浜公園と陸続きの第三台場跡


コンクリートで築かれた砲台のレプリカが展示されている


土塁の内側には本陣を中心に弾薬庫や竃跡などが存在していた

 品川台場には2008年にデイリーポータルZの取材で訪れたのですが、当時はほとんど人がおらず貸し切り状態だったように思います。しかし現在は犬の散歩やウォーキングの方々が多く訪れており、地元の人々の憩いの場になっているようですね。


こちらは現在も海の中にある第六台場跡


現在は植物&鳥の楽園となっており立入禁止

 以前の時と同様にレインボーブリッジを歩いて渡り、第三台場と第六台場の全景を写真に収めてから帰りました。やはり以前はレインボーブリッジを歩く人はほとんどいなかったと記憶していましたが、現在は若いカップルや外国人旅行者など結構な人が歩いており驚きました。決して短くはない距離なのですが、まぁ、楽しいもんね、橋を歩くの。

 三箇所目は新横浜の近くにある小机(こづくえ)城です。関東戦国時代初期の長尾景春の乱において景春側の豊嶋氏が籠り、太田道灌に攻め落とされた城で、その後に後北条氏が整備して支城としていました。


竹林に覆われた丘に遺構が良好に残っています


各郭を空堀と土塁が取り囲んでおり迫力満点!

 小机城は主に「東郭」と「西郭」、およびその間に位置する「つなぎ郭」から成り、それらの周囲に土塁と空堀が巡らされており、角馬出で防御を固めた北条式の縄張です。


東郭には櫓台も残っている


各郭は土橋で接続されており、容易に行き来が可能

 コンパクトな城ながらも複雑に入り組んだ空堀が大迫力で、遺構のまとまり具合は武田の古宮城に対する北条の小机城と評したい……と思ったのですが、ひとつだけ(そして致命的な)問題が。


西郭の西側が第三京浜道路でぶった切られているのだ

 第三京浜は遺跡の保護よりも開発が優先された高度経済成長期に築かれたということもあり、まぁ、しょうがないのかもしれませんが、この破壊は小机城の価値を大きく損ねているのは間違いないでしょう。高知県の添蚯蚓遍路道が高速道路でぶった切られているのを見た時と同じような喪失感を受けました。

 さて、気を取り直して四箇所目は東京都の八王子にある滝山城です。多摩川沿いの丘陵をまるごと使って築かれた、後北条氏の支城です。


こちらもまた竹林があり、どことなく小机城と似た雰囲気


小机城と同様、各郭を空堀と土塁が取り囲んでいる

 同じ後北条氏の城なだけに、滝山城は小机城をスケールアップした感じ。というか、これを見た後だと小机城がまるでミニチュアのように思えてしまうくらいに超巨大な山城です。

 特にすべての登城道が合流する二の丸の守りは厳重で、南側の大馬出を始めすべての虎口に角馬出が設けられています。実際、滝山城は武田氏によって攻められていますが、結局二の丸は突破できず寡兵で凌ぎ切ったといいます。


馬出にしては巨大な、その名もズバリ「大馬出」


本丸へは木橋が架けられているが、当時は引橋だったそう


山の神曲輪から眺める多摩川

 とまぁ、滝山城は非常に立派で広大な城ですが、武田氏により落城寸前まで追い詰められたことから新たに八王子城が築かれ、滝山城は廃城になったといいます。

 滝山城は比較的なだらかな丘を使っていますが、小田原城は急峻な山を使ったガチの山城。近世城郭的には滝山城のほうが伸びしろがあるような気がしますが、まぁ、間もなく後北条氏は秀吉によって滅ぼされますので、あれこれ言っても詮無き事ですかな。

 ところで、今回訪れた四箇所のうち品川台場を除く三箇所は自宅からカブで行きました。最近、カブにスマホを取り付けるマウントとホルダーを装着したので、そのテストも兼ねてのツーリングだったりします。


スマホの出し入れが不要になって超便利

 特に地図での位置確認が格段に便利になり良い感じです。今後のカブ旅行で大いに活躍してくれることでしょう。

posted by きむら at 15:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行